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幸せな日々。。

本店ブログにも書いたのですが、

3月21日に、16年以上共に暮らした猫が旅立ちました。
これまで、犬や猫を何頭も見送って来ましたが、
「ふう」はその中でも特別な存在だったと思います。

荼毘に付し、いつもの日常が戻って来ました。
永遠に、ふうのいない生活が始まりました。
心にぽっかり穴が開いた様な心地がしましたが、一方で、

常に身近に、ふうを感じています。

いなくなってしまった、と言う喪失感に襲われたのは数日。
その後、なんとなくですが、ふうの気配を感じています。

一方で、
もう会えない事を噛みしめて、哀しみに涙こみ上げる事は、
日常の中でも時折起こります。

あー、これがペットロス症候群てヤツだな。

そう思いつつも、今は不思議と寂しさは湧いて来ません。

なんだか、近くにいるような感じがするのです。

私には、霊感とか見えないものが視えると言うサイキック能力などはありません。

むしろ、ちゃんと見えてるのに、うっかり見落とすくらいの鈍くささで、
よくまぁ車の運転を無事故で運転出来たと思います←違う意味で怖い!

あ、ちゃんと信号や標識や歩行者対向車は見えておりますよ。ええ。


そんな私ですが、

ふうが身近にいるのを感じています。




その昔、
私は中学3年の時に大ヒットした劇場版アニメ「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」のラストで、主人公の古代進が言う言葉がずっと心に残っていました。

『命というのは、たかが何十年の寿命で終わってしまうような、ちっぽけなものじゃないはずだ。この宇宙いっぱいに広がって、永遠に続くものじゃないのか?俺はこれからそういう命に、自分の命を換えに行くんだ。これは死ではない』

巨大戦艦にヤマトと共に特攻する決意をした古代は、生き残った乗組員達にこう言って諭します。

この時、私はこのセリフの意味が今ひとつ理解出来なくて、
(いやそれは死ぬ事だろうに)
・・・と不思議に思ったものでした。
セリフそのものは感動的な美しい言葉なのだと解ってはいても、現実的に「死」となんら変わらんだろう?

夢見る乙女だった15歳の私も、ヘンなところで現実的でした(・_・;)


でも、今、あの時の古代君の言葉がよく解る様になりました。

ふうの命は、終わってしまった訳じゃなくて、私の生きるフィールドいっぱいに広がって永遠に続いて行く様な気がしています。

なので、職場で仕事をしていても、その空間…

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