2014年3月12日水曜日

ガーーーン!!な話(笑)

こうしてブログやSNSなどで自分の思った事感じた事をつらつらと書いていると、ごくたまにだけど反論を頂く。

直接頂く事もあれば、別の場所で私の文章をところどころ引用して批判される事もある。

そういう事態になると、普段叩かれ慣れていない甘チャンな私は思いきり凹む。
反論の文章にもよるけれど、動悸が激しくなって顔面が熱くなる、声や手が震えてくる。
で、しばらく何も手につかなくなって呆然とする(笑)←おおげさw

後で考えれば、そんなに過敏反応しなくてもいいことなのに(笑)、と思うけど、その瞬間はまるで瞬間湯沸かし器のごとく、沸騰してしまう。(すぐ冷めるので保温機能はございませんww)

以前だったら、
しばらく悶々として怒りや哀しみで胸一杯状態、どうにも収まらずにあちらこちらで毒を吐いてしまう事もあった。
が、最近はそういう、マイナスエネルギーの放出はなるべく辞めようと思い、前と比べて大分穏やかになった(と思う。多分w)

最近、こんな事があった。

2月の大雪で私の住む地域は林道の木が倒れ、それが電線を引っ張った事で電柱が数本傾いてしまい、完全に道路を塞いでしまった為、除雪車両も通れずに5日間孤立状態であった。

夫は14日の降り出しから既に家まで帰る事が出来ず、コンビニ駐車場で5連泊。
雪は最大1m近い高さまで降り積もり、カーポートは倒壊、屋根の雨樋も壊れてしまった。
それでも必死で家の周りの雪かきをし、なんとか林道からの進入路と自宅周りの除雪は出来た。
が、林道はさすがに手が出ない。国道までの距離は約4km。
自分の家の周囲だけ人力で雪かきしたところでどうにもならないうえ、自宅周りの雪かきだけで精根尽き果ててしまった。
なにしろ水分が多くて重い雪だったから、何倍も時間がかかるし既に身体のあちこちに痛みが出ていてなかなか捗らない。

そんな状況下で、私はフェイスブック飯能会に今の心境や積雪状況などを連日綴っていた。

それが、フェイスブック飯能会のあるメンバーにはかなり不愉快に映ったようだった。
その方はご自分のブログに、私が綴った文章の一部を引用して、こういうのを見るとむかつく、と書いていた。

不満ばかり書いて除雪をしないのが不愉快だったと。そして、ご自分はキチンと自宅周りの雪かきをされた事も綴られていた。文句言う前に自分が使う道路ぐらい除雪しろ、と言う事の様だった。

ショックを受けた時、人は「ガーン!」と文字に書く(笑)。その時、まさしく脳内で「ガーーーン!!!」が鳴り響いた(笑)

除雪なら身体がボロボロになるまでやったのになあ(ため息)。
4kmの、ひざ上まで雪がある林道を雪かきしろ、と?

実はその方と私は会った事がある。
3年前、市内の某所で偶然出逢い、それがご縁でmixiでもマイミク関係にある。
実際にお会いしたのはその時だけだったが、その後も私はその方のブログを時折読ませて頂いていた。

なので、まさかその方に批判されるとは夢にも思っていなかった。余計に衝撃は大きかった。
不愉快だと思ったならば、ブログで晒さずに直接メールなどで伝えてくれればいいのに・・・

しばらく呆然としたのち、深呼吸してよくよく考えてみた。

その人は、どうも私の状況を詳しく知らない様なのだ。
山間部に住んでいること、人力では到底不可能な積雪量であること、林道とまちなかの平らな地面との違いなど、そうした状況をよく読まずに書いているのが何となく解ってきた。
たまたまフェイスブックにログインした時に、私の投稿記事が目に飛び込んで来たので、前後の事情までは知らずにポイントだけを読んで不快な気持になったのだろう。

確かに、市街地では雪かきに全く非協力的な人が少なからず存在した事は、別の場所で聞いていた。
なので、駅まで行く歩道が場所によって通れず、車道を歩かねばならない箇所もあったとか。
雪は日数が経つと硬く凍って非常に危険。ましてや車道を歩かねばならないから更に危険も増す。
自分とこの周りくらい自分で雪かきして欲しい。そういう思いが積み重なるのも無理はない。

そういうケースと同一視していたのかもしれない。だから文句言わずに除雪しろ、と。。

などと色々考えていたら、なーんだ、そんなにショック受ける事でもないや♪と思えてきた。

それでも一応・・・「反論」と言う訳ではないが、人力除雪が出来ない状況をフェイスブックの中で淡々と書いておいた。写真も載せて。

一方で、
確かに、あの時の私は愚痴っぽくなっていた。
状況も深刻ではあったが、人はどんな状況でもポジティブになれるはず。前向きな考え方が出来るはず。
常日頃から、プラス思考でいよう、と思っていながらそれが実践出来ていない事も思い知った。
文句を言ったつもりは無いのだけど、他人が読めばそれは「文句」に聞こえたのかもしれない。

そこは反省し、もう少し言葉を選んで、ネガティブにならないように一層気をつけようと決めた。

とは言っても、
書いた文章を10人読めば10人とも「いいね!」と言ってくれる訳ではない。
YESとNOが半々ぐらい。。。と思って覚悟しておいた方がいいのかもしれない。

そうすれば、何か言われても「ガーーーン!!!」にならないだろうから(笑)

しかし文章って本当に難しい。
美しい文章とか言う以前に、内容によっては読む人の心の琴線に触れ、その人の胸の奥に秘めた思いを浮かび上がらせてしまう事もある。その結果、読んだ人が傷つく場合もある。

私は読んで下さった人が「ふうん」とか「クスッ」などと緩やかに和んでもらいたいと思いながら文章を書いているのだけれど、なかなかそう言う風にはいかないのが現実。

ならば、書いている自分が心地好く思える文章を書いたらどうかな。
今はそんな風に思ってキーボードを叩く日々である。

上手い、とか言われるより、面白い、と言ってもらえるように。。。

2014年3月11日火曜日

居場所

飯能に生まれ飯能で育ち飯能で暮らしているけれど、
今ひとつ、飯能市民という意識が希薄だと思う。
やはり、住んでいた地域が元々は飯能市では無かった事に起因するのだろう。
と言っても、市町村合併は私が生まれるずっと前の出来事であるのだけど。

それでも、地域の中でよくかわされる言葉の中に、
「○○をしに、飯能まで行ってくる」
という言葉は今でも老若男女を問わず使われる。

飯能市民なのに、
「買い物があるんで飯能まで行ってくる」とか「飯能まで車で行くと30分以上かかる」
「飯能まで行けば○○は売ってるはず」「こっちは雨だけど、飯能はもう晴れているらしい」
そういう言葉が違和感なく通用している。

私の中での「飯能」という括りは、飯能駅及び東飯能駅から歩いて30分前後の場所がいわゆる「飯能」になる。

そうだなあ・・・東はベルクのある緑町辺りで、西は永田辺りかな。(原市場住民の方々、ごめんなさい)南は美杉台、北は中山。
それ以外の場所も飯能市であるが、この場合「飯能」という言い方はせず、地名を言う事になる。
「原市場にある○○へ行こう」「名栗のカフェを探してみたい」「中藤は分譲住宅が割と多いよね」
地形的に見れば、ここは飯能の西のはずれ。

家から「飯能」まで行くのと「秩父」まで行くので半々くらい、いや「飯能」の方が近いかな。
だが「飯能」まで行くのには途中で「日高市」を通過しないと辿り着けない。
「飯能」に続く国道299号線が日高市内を通っているからだ。

そんなだからどうしても、郷土愛みたいなのが希薄なのかもしれない。

高校に入学した当時、クラスメートに私が住んでいる地域を教えると「ええっ!あそこも飯能市だったの?」と何度か言われた(笑)

そうだよねえ。遠いよねえ(笑) 飯能市じゃなく、秩父市だと思ってる人が未だに居るくらいだからねえ(笑)

飯能市を東京都になぞらえると、駅周辺地域が23区に相当し、私が住む一帯は奥多摩、檜原村に重なる。
なにせ似てるし(笑) いつだったか奥多摩湖から檜原村近辺をドライブした事があったが、既視感出まくりだった(笑)
檜原村と同じく、2月の歴史的大雪の時は5日間も孤立状態だった。(いや、あちらの方がレベルが全然違うけど)

ガンダムで言うところの「地球からもっとも遠く離れたサイド3は・・・」かしら(笑)
もっとも独立戦争なんか仕掛けませんけどねwww

そんな事もあって、市の観光行事やその他イベントなども低温状態(笑)参加意欲があまり湧かない。なんとなく、他市の出来事の様な感覚もある。それに・・・何をしようにも、遠いしねえ・・・

宙ぶらりんで「居場所」が無い様な感覚。
それを困っている訳ではない。何とかしようと焦ってもいない。むしろ、面白がっている。

「フェイスブック飯能会」に投稿される郷土愛に溢れる方々の思いを、
「なんと、こんなに熱くて優しくて思いやりのある人が沢山いるじゃん」と、ちょっと微笑しつつ読んでいる。

例えるなら、教室の真ん中でクラスメイトの半分以上が何かの活動でワイワイと盛り上がっているときに、端っこより少し真ん中寄り(笑)の後ろの席で頬杖をつきながら「おー、面白そうな事してるのね」と眺めている地味な女の子の心境(わかりづらいww)。

実際、子供時代の私もそんなだったから。
真ん中に立ったり、その周りで盛り上げる役目というのは元々苦手なのだ。
だから、少し引いた場所で眺めてる単独行動型な私。
何か発言したくなったり、輪の中に加わりたいと思ったら、その時に入ればいいや。
そんな感じ。別にクールでもなんでもない。地味なだけ。
地元も非常に地味、だしね。

これから飯能市はどんな風に変わっていくのだろうか。
色々な問題も山積してる。
全て解決するのは不可能な気さえしてくる。
それでも、適当にゆるくて穏やかで、首都圏なのにローカルなこの街は、ずっとこのまま緩やかに進化していくように思えてくる。
少しずつ、少しずつ。

沢山の「愛」が積み重なって、大好き飯能!と笑顔で言える人が、今よりも何倍も増えていますように。
そして、
私の中の薄い郷土愛が厚みと熱さを増せるように、少しずつ「輪の中」に近づけるように、内も外も変わって行けたら良いね。