2015年3月19日木曜日

心地好い場所

今朝、テレビの天気予報を見ようとして、茶の間のテレビに目を向けました。

茶の間では両親と妹が、コタツにあたりながら朝のニュース番組を眺めていました。
ちょうど関東地方の最高・最低気温が表示されるところだったので、今日は何度くらいになるのかしら?昨日より寒くなるのかな?などと思いながら画面を見つめたのですが・・・


文字が霞んで見えない!

また視力落ちてるし・・・(||| ̄△ ̄;)ヤ、ヤバイ・・・

今までずうっと1.0~0.9くらいだったのですが、4年前の免許更新の際、視力検査で引っかかり、実際には0.5ぐらいだった事を知らされました。

これはもう、何が原因かって、スマホですよ。。。

当時、私はBlackberryを使っていました。
そう、このツブツブしたボタンが黒い木苺(ブラックベリー)の様な、あのスマホです。
日本での販売は既に終了していますが、私はこのスマホが大のお気に入りでした。
が、いかんせん、見て解る通り、画面が小さい。どうしても目をこらして見る事になる。
結果、それが視力を落としたに相違ない。

なんでまたこんな超マイナーなスマホを使ってたかって?
形にとても興味を惹かれたからです。
スマホと言えば、フリック入力が主流ですが、これはQWERTYキーがズラッと並んでる。
それをパチパチ押して文章入力がしたかったのです。
それに、元来私は、他人と同じものを持ちたくない性分。
日本中がiPhone、iPhoneと言ってる中で、じゃあ私もiPhone・・・という発想は、ない(笑)。

Blackberryは今でも使っています。
が、それは携帯電話としての機能のみで所持しています。
通話以外のネット操作は、一昨年買ったタブレット「AQUOS Pad」で、相変わらずQWERTYキーでローマ字入力しています。
フリック入力はいたしません。(頑固です)
画面デカ!!
でもやっぱり視力は更に落ちてたね・・・今朝解った。

やっぱりね、使いすぎです。色々と。
何に使ってるかと言えば、SNS投稿やサイト閲覧です。

Blackberryより数段画面が大きくなったとは言え、やはりPC画面で操作するのとは違い、首や肩のコリが半端ない。(PCでも長時間画面を見てると相当負担になりますけどね)

私に限らず、スマホの登場で視力低下や首・肩コリ(ストレートネック症とかありますもんね)は酷くなっているんじゃ無いかな。

身体に負担かけてまで、毎日やる事かね?
必須項目じゃないよね?

今朝、自分に問いかけてみました。

うん。確かに。SNSなんて、無くても生きて行けるもんだ。
いつの頃からか、普段の生活にしっかりと食い込んできてた。
でも、依存症にだけはならないように、と気をつけてきたつもりだけど・・・
永年の習慣が目を酷使してたのねえ・・・

月に一度通院している池袋の「えびす整体」の院長(ゴルゴ松本に似てるw)が、

「目が疲れてるね」と言ってたのを思い出しました。

目を閉じた所に、院長がまぶたをソソソソッと軽く押し、右目尻から左目尻にむけて「気」を通すと、目を開けた瞬間に周りの景色が強烈に鮮やかに感じます。

「いやー、今目を閉じてる間に急いで電球をLEDに変えたんだよーwww」
だなんて、院長はウケない冗談を言ってますが(笑)、確かにクリアになりました。

と言う事は、普段、とても目が疲れてる証拠です。

身体を犠牲にして、SNSをやる意義は?

改めて自分に問うています。


でも確かに、面白いし楽しいのです。時間を忘れて書き込みする事もあります。

友達になれた人達とのコメント交流は楽しいし、コメントを貰えると嬉しい(時々どんよりする事もあるけどw)です。

だから、辞められない。SNSは魔法の友達づくりツールだわね。
そしてみんな、目が悪くなっていくのだ・・・

一方で、「ん?待てよ・・」と思う事もあります。

以前、某SNSのグループに所属し、投稿していた時にそれを感じました。

とにかく、あっと言う間に「いいね!」が30,40・・・とついていく。最終的に70、80くらいついたりする。
グループのメンバーが多ければ多いほど、次々に「いいね!」されていきます。
そうすると、嬉しくなっちゃう。こんなに沢山の人に「いいね!」って思ってもらえたんだー!って有頂天になっちゃう(笑)
コメントも、大きいグループ投稿だとどんどん付いて行きます。
そして、グループの人から友達リクエストをもらったり送ったりして、友達関係になる事も多いので、あっと言う間にSNS繋がりの友達は増えていきます。
コメントを1つひとつ読んでレスポンスしていく。
これも(最初は)楽しいから、次々にお返事していく。

気が付けば、
通常投稿はほとんどしなくなり、グループ投稿のみになっている。

グループ投稿は、そのグループに関連した投稿をするのが基本なので、それ以外の事を書かなくなる。

グループネタ投稿を量産していると、ふいに自分が今どこにいるのか解らなくなり、何してるんだろう?私・・・と気づく事がありました。

その頃、他にも色々思う事があって、そのグループは退会しました。

パソコンからログインして、グループの退会ボタンを押すとき、
ああ・・もうあの嵐のような「いいね!」はもらえないんだ・・・
そう思ったら、マウスから手が離れました。
得体の知れない恐怖を感じたのです。

あれは・・・私の中の承認欲求が、退会を拒否していたんでしょう。
(と言うか、ココでこうやってアレコレ書いてるのも承認欲求だよなあw)

でも、躊躇したのは数秒。私は退会ボタンをクリックしました。

そのコミュニティのことをアレコレと批評するつもりは毛頭ありません。
実際に沢山のメンバーが楽しく交流してらっしゃるのですから、そこに水を差すような事はしたくありませんし、私自身も、そこに参加していた時はとても楽しかったのですから。
所属していた頃に知り合ったお友達とは今も仲良しです。それは有り難い事です。

でも、最終的には、そういう場は、私には向かなかった。それだけです。


タイムラインを眺めていると、本当に多種多様な情報や投稿が流れて行きます。
ネガティブな記事や投稿も、日に何度も目にするので心が重くなる事も多々あります。
そうした物全てに目や耳をふさいでしまったら、真実は見えなくなる。
嘘の情報ばかりを信じ込まされる状態にもなり得るでしょう。それはやはり避けたい。でも。

色々と考えました。
そして、今の自分にとって見ておきたい、読んでおきたい、聞いておきたい、と思えるものを選んで行こうと。

そして、SNSページを眺めている時間そのものを減らして行こうと思いました。
依存症だけは避けたいと思って来たけれど、自分が思うよりずっと依存気味だったんじゃないかな。

そして、友達管理にも手を入れました。
うーん・・・ちょっとあまり目にしたくないな・・・と思う投稿をされる方のフォローを解除しました。
こうすると、タイムラインにその人の投稿は出てこなくなり、重い空気を感じる回数が減ります。

「いいね!」も大分減りました(^◇^;)
「いい」と思わないから、ではなく、ログインしていないから見てないのです。

そうやって、無理のない、心地好い場所に少しずつ変えて行こうと思います。

SNSごときに健康を脅かされるとか本末転倒ですもん。

それで消える交流があるなら、それまでのご縁だったと思えばいい。去る者は追わず。

そうしよう、と意図したら、なんだか肩コリが改善したようなしないような(笑)

視力回復はなさそうだなぁ・・・w

2015年3月2日月曜日

わがままな日々

私が4歳くらいの頃だったと思います。

実はワタクシ、
幼い頃、お風呂が大っっっっ嫌いでした!(笑)
どうして嫌いだったのか、よく覚えていませんが、多分、シャンプーでも目に入って痛い思いをした・・・ぐらいの事だったんじゃないかな。
ある日を境に「風呂入らない!」と宣言し、母や祖母の言いつけを一切聞かなくなりました。

真夏の汗ばむ時期じゃなかったのが幸いしましたが、それでも長期に渡って身体も髪も洗わないってのはかなりマズい状況だったと思います(・_・;)

のどかな山村で育ちましたから、畑や野山を泥んこになって走り回った日もあったし、家に居ればお絵描き三昧の日々で手指は結構汚れていたはず。

祖母が上手いことだましてお風呂に入れようと画策しました。
たぶんお菓子か何かで釣り、風呂場に誘い込もうとしたんですね。
でも、途中で気づいた私はそこで大泣き。結局その日もお風呂に入らないままでした。

私がお風呂に入らない事で、周囲の大人達がとても困っていました。
子供ごころに、母が困り果てているのが解っていました。父と母が意見の相違でただならぬ雰囲気になっていた事にも気づいていました。

でも!
いやなものはいやじゃ!!!
こればかりは絶対譲れん!

風呂拒否が2ヶ月目に入り、
肌や髪の汚れがかなり目立ってきた頃(もちろん私自身はそんな事は全く意に介さず)私は急に「お風呂入る・・・」と言い、素直にお風呂に入りました。

その時の祖母と母の喜びようと言ったら(笑)
母は普段から私をめったに私を褒めませんが、その母が私に「エライエライ」を連発し、優しく髪を洗ってくれました。
その時に思った事は、40年以上の歳月が過ぎた今でも覚えています。

(私が大人の言う通りにすると、大人はすごく喜ぶんだな)

イイ大人になった今では、寒い夜に熱めのお湯に入るのが極楽、極楽♪(*^ω^*)
温泉とかいいよねー。出来れば雪の日、北国の露天風呂などに、のぼせるまで入りたいわ(笑)

小さな私の反乱は更に続きます。

2歳違いの妹が生まれ、ほどなくダウン症だと判明しました。
父も母もひどくショックを受けた様で、この頃の両親が笑顔で楽しそうだった記憶はありません。
祖父母は母を責め、将来を悲観し、随分ひどい事を言ったんじゃないかと思います。

が、
当時4つか5つの私には、妹のハンディも両親の落胆も祖父母のイライラもまったく理解出来ません。
というか、
放って置かれた訳です。
それどころじゃないの!あっち行ってなさい!みたいなね。

今と違って、昭和40年代初頭は、ハンディのある人に対して優しい社会であったかというと、決してそうは言えない空気が充ち満ちていたと思います。

放っておかれた分、オモチャや絵本などは沢山あったと思います。
1人で遊んでらっしゃいって事だったのでしょう。
が、山村で近所に遊び相手が殆どいない状況で、オモチャと絵本を与えられるだけの日々は、私にはとても寂しい日々だった記憶があります。

そんな時、
お盆で母の実家に泊まりに行きました。
母は7人姉弟の長女で、弟が1人、妹が5人いました。
若くてはつらつとした独身の叔母達が、代わる代わる私と遊んでくれました。
叔母達にとって私は初めての姪っ子だから、可愛かったのでしょうね。
化粧品を使わせてくれてお化粧なんかして遊んだり、
沢山のレコードを毎日聴かせてくれたり、
とても高い香水を内緒でチョンチョンと手首につけてくれたり、
とにかく家では全く出来ない事を好きなだけさせてくれました。
もう、毎日楽しいったらない!

そして、2晩泊まって帰る日の朝、私はまた叛乱を起こしました。

「ここの家の子になるから、帰らない!」

驚く両親を尻目に、私は2階に駆け上がり、諦めた両親が車に乗って家を出て行くまで、下りて来る事はありませんでした。

叔母も叔父も、母方の祖父母も曾祖母も、
私が何故そんな事を言ったのか察知したのでしょう。
気が済むまで居ればいい、と言う事になったようです。

それから、
私は母の実家で思う存分自由に楽しく過ごしました。
叔母達が出勤すると、祖母や曾祖母が遊んでくれました。
母方の祖母はふくよかな体型で、明るくて素朴でいつも笑顔の優しい人でした。
曾祖母は祖母と正反対で、老いた痩躯をいつもキチンと正し、厳格な面もありましたが、私を1人の「人間」としてキチンと扱ってくれた最初の人だと思っています。

叔父は姉弟唯一の男だったせいか、あまり多くを語らない人でしたが、休みの日は車に乗せてあちこち連れて行ってくれたり、肩車もしてくれました。

本当に毎日が楽しかった・・・

その頃、自宅では、ストライキを起こした私の事で祖父母が激怒、母は肩身が狭くなり、さらに妹の世話で疲れ果て、深刻な状況になっていました。
いつ、私を連れ戻すか。毎晩その話で議論が起こっていました。
レコードを毎日聴いていると聞き、父はワガママ娘の為に大枚をはたいてレコードプレーヤーと子供向けレコードを買い込みました。

当の私は、そんな事は全く知りもせず、毎晩叔母達に可愛がってもらって、もう家には戻らない、ここの家の子になると固く心に決めていました。

1ヶ月後。
私が昼寝をしている時に両親が私を連れ戻しに来ました。
叔母がそっと私を抱きかかえ、父の車に乗せました。
爆睡していた私は家に帰り着くまで目を覚ましませんでした。
が、目覚めて辺りを見回すと、そこは楽しい母の実家ではありません。
途端に私はギャン泣きして「帰る!帰る!」を連発し、大暴れ!
焦った父がレコードを聴かせてなだめるも全く効果なし!聴いちゃいない。

(なんてワガママなガキンチョでしょうか。自分で書いててイヤになってくるわ・怒)

仕方なく、両親はまたまた母の実家に戻り、もうしばらく預かって欲しいとお願いしました。
困惑する母方の祖父母や叔母達。
でも、そこまで家に居たくないと言う私の「心の闇」を解ってくれたのかどうか、またしばらくの間、母の実家で暮らし始めたのでしたε=(´。` )


セミが鳴いていた夏の日は過ぎ、辺りはすっかり秋の気配です。
私は、自分がどれだけ周りの大人達を振り回しているか、幼いながらに解っていました。

でも、辛かったのです。家に居るのが。
小さな身体に、心臓の合併症も抱えた妹は東京の医大に入院したまま。
先行きを案じる祖母の愚痴と不機嫌を、子供ながらに感じ取って不安にさいなまれる日々。

遊びたい、甘えたい盛りに、父も母も、妹につきっきり。
祖父母に甘えようにも突き放され、オモチャばかりを与えられ・・・

そんな重苦しい空気の中に戻りたくない。
ずっと、このままココで暮らしたい。

・・・でも、それはダメなんだ。このまんまじゃ、ダメなんだ。

(私が大人の言う通りにすると、大人はすごく喜ぶんだな)

大嫌いだったお風呂に入った時に思ったその事を、そこで実行したのです。

再び迎えに来た父の車に、私は素直に乗り込みました。
遊び相手が誰もいない我が家に戻るために。

「またおいで」
頬を寄せる叔母達の笑顔に、こくん、と頷きながら、私は家へと戻って行きました。

妹は26年生きて、23年前の3月に旅立ちました。

末の妹は健在で、アラフォー世代の今も勉強大好き。私と正反対(笑)
現在は都内の某大学に通って勉強を続けております。

私を一番可愛がってくれた母のすぐ下の叔母は、3年前に他界しました。
華やかで社交的で、美しい人でした。

オトナになった今は、
こんなワガママは、子供のうちだけだよなぁ・・・としみじみ思います。

イヤな事にイヤ!と言えない社会はまさしく大人達が作った訳ですが。。

思いつきで好きなように行動していた子供時代と違い、ある程度の勇気と覚悟が無いとイヤなものにイヤと言えない大人達ってのは、とても窮屈な生き方に思えます。

かと言って、子供の様に自由に発言したり行動したりすると、信用を失ってしまうかもしれません。

行動せずとも、言わずとも、子供の頃の純粋さは出来れば失いたくないです。
自分自身が、何が好きで何が嫌いで何が得意で何が不得意か、ちゃんと解っている大人は少ない様な気がします。
また、言いにくい雰囲気や状況もあったりして、なかなか自分らしさを出せないという事もあるかもしれませんね。

そんな中でも、自分はこうありたい、こうなんだ、という気持ちは大事にしたいな、と思います。



という訳で(笑)、
ふいに、大昔のワガママ放題な私を思い出しました。
そして、自宅の祖父母や母方の曾祖母・祖父母(彼らにはもう会えないけれど)、
優しくしてくれた叔父・叔母達、そして、
一番困らせた両親に、

あの時はもー、ほんっっっとに、色々すいませんでしたっ!(平身低頭ペコペコ)

と、謝っておきたいなーと思いましたよ・・・たはは。

その一方で、
あの頃のように、自分の気持ちに素直でありたいな-、と言う思いを強くしました。

ここのところ、
職場で色々と我慢を強いられる事に遭遇しているせいか、子供の頃が思い出されます。
言いたい事をバンバン言えた頃が懐かしいわあ(笑)

もっと色々、言うべきなのでしょうね。言わずに収めてしまうばかりではダメなのかな。

うん。

勇気だそう。。。