2015年4月27日月曜日

いきものと暮らすということ。

パソコンのブックマークを整理していたら、
数年前に疎遠になってしまった女性のブログに目が留まりました。

(ああ、そう言えば元気だろうか・・・)

意見の相違でぶつかる事があって、そのまま縁が切れてしまい、ブックマークにはその当時入れておいた彼女のサイトが当時のまま残っていました。

削除する前に、一度見ておこうかな・・
そんな事を考えながら、ブックマークのタイトルをクリックしてみました。

そして、
一瞬、時間が止まった様な気がしました。

おそらく、
彼女が世界で一番愛していたであろう、ウサギの死が綴られていました。

美しい毛並みと、活発に動く姿を写真や動画で何度か見ていただけに、
静かな表情で横たわる姿が、にわかに同じ子だとは信じられず・・・

私は卯年生まれなので、いつかはウサギを飼ってみたいと常々思っていました。
その時は、この子みたいなふかふかの毛並みの元気な子を飼ってみたいと、何度思ったことか。

胸に迫る沢山の思いをこらえながら、
画面をスクロールして長い長い文章に目を通す。
地球を旅立つその寸前、最後の1分1秒まで、常に彼女と一緒だった。
大好きな彼女の胸に抱かれて、幸せな日々に幕を下ろしたんだね。
「彼」の一生が愛情と優しさに満ちた幸せな日々だった事は、飼い主の彼女が綴っていたブログから十分に伝わってきます。。

幸せな生涯だったね。おつかれさま。ありがとうね。

動物を飼うという事は、慈しみ育てる幸せを体験出来ると共に、最期を看取る悲しみを知る事になります。

私もこれまで、
何頭もの動物たちを見送ってきました。
私と同い年だった三毛猫、
少女マンガのヒーローと同じ名前をつけた柴犬。
知人から譲り受けた茶トラのお坊ちゃん猫。
殺処分寸前だった茶トラの子猫・・・

親類の子を譲り受けたMIX犬。
捨てられ、職場に流れ着いたMIX犬。

そして・・・

あこがれだった、ジャーマン・シェパード。

何頭飼っても、看取っても、
最期の瞬間はまるで初めて失うかのように、苦しくて悲しい。
命が消えていくさまを、何も出来ずにただ泣くだけしか出来なかったり、
私が目を離した数分に急いで旅立って行ったり、
もう長くないのかな、と思った翌日に姿を消してしまったり・・・

待って!まだ逝かないで!ここにいて!・・・お願い・・・生きて、生きて・・・

そう、心で叫び、手を伸ばしても、それをすり抜けるようにさよならしていく。

そんな経験を何度も重ね、慣れたつもりでいても、なかなかしっかりしてはいられません。

6年前、ジャーマン・シェパードのシータが亡くなった時は、私たちが出勤した直後でした。
最期を看取る事は出来ませんでした。
加とさんに連絡すると、急遽仕事を休んで帰宅し、自宅裏の山にある墓所に、他の犬や猫たちが眠る場所の隣に葬られました。

私は職場を空ける事が出来ず、最期は立ち会う事は出来ませんでした。

今でも、
シータの犬舎があった裏庭に立つと、元気だった頃のシータが思い出され、泣けてきます。
もっと幸せな飼い方があったんじゃないか。病気に気づけなかった事が悔やまれ、ゴメンねという言葉と涙がいつもあふれます。

打ちのめされる思いを胸に抱いたまま、シータの死から10日後、1匹の子猫が我が家にやって来ました。
野良一家の子猫がはぐれて、職場の玄関でミャアミャア鳴いていたキジトラ。

それが、メイでした。

悲しみに浸る間もなく、私は子猫の保護に追いまくられ、気がつけば半年が過ぎていました。
シータの死から半年経った頃、またまた1匹の子猫が我が家にやってきました。

親兄弟共に捨てられ、グリーンラインをさまよううちに親猫や兄弟猫とはぐれ、痩せた身体で辿り着いたのがここでした。

その子は、モモ。

メイとモモが我が家にやってきたおかげか、私たちはシータを喪った事によるペットロス症候群になる事もなく、慌ただしいまま月日が過ぎて行きました。

メイとモモは・・・シータが送ってくれた子かもしれませんね。
シータを看取れずに悔やむばかりの私たちの気を紛らわす為に、子猫を連れてきたのかも。

あれから6年。仏教で言うところの七回忌。

またシェパードを飼いたい。そう思えるようになりました。
次も女の子で名前もシータで。
シータに会いたいな・・・
そんな風に、静かに再会を願えるようになれたのも、メイ、モモ、先住猫のふうちゃんに振り回される日々の中で、シータと暮らした時間を穏やかに振り返る事が出来るようになったからでしょう。

沢山の涙と積み重なって行く時間が、
深い喪失感と、心にあいた大きな穴を埋めてくれます。


ウサギちゃんを亡くした彼女の心は、今は哀しみに覆われているでしょう。
哀しくて哀しくて、息をするのも辛いかもしれない。
一歩も動けないくらい憔悴しているのかもしれない。
それも、時間が癒やしてくれます。

きっと、歩き出せる朝が来ます。



内館牧子さんの初期小説の中にある台詞。

「人が死ぬと哀しいのは、思い出を遺していくからよ」

最愛の恋人を事故で亡くしたヒロインの母が、愛娘を抱きしめて言う言葉です。

人でなくとも、動物だって、愛情溢れる思い出を沢山くれました。
それがあるから哀しいのですね。

今はもう逢えなくなった犬や猫たちの鳴き声や毛並み、愛に溢れた瞳を思い出すとき、心は過去に戻って感傷的になっています。

そこから立ち直るには、新しい思い出を作っていけばいい。
新たな日々を歩き出し、生きていく・・・

ヒロインの母親は、泣きじゃくる娘を諭します。
恋人が遺した子供を、ヒロインが母として育てていく事で、亡き恋人との新しい思い出を作っていく。

ヒロインは母の言葉どおり、ラストで義理の息子を育て上げるのでした。


ウサギを亡くした彼女にも、
いつかまた、新しい思い出を作り出す日が訪れるはず。


人生にはいつどこで立ち止まっても、新しい扉が用意されています。

それを開けた先には必ず新しい道が幸せへと続いているはず。

彼女が新しい扉のドアノブに手をかける日が来るのは、まだ少し先かもしれないけれど、
きっと、新たな一歩を踏み出してくれるはず。

愛したペットたちは、いつもずっとそばにいます。愛する人の笑顔を待っています。

その日が訪れることを、心から笑えるときが来ることを、

孤独とサヨナラする日が再び巡ってくることを、


遠く埼玉から祈っています・・・。


仲良しだった頃に描いて贈ったうさおくんの絵。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
合掌

2015年4月2日木曜日

祝・20周年

本日、2015年4月2日をもちまして、
私たち夫婦は結婚20周年を迎えました。

1995年の4月2日も、よく晴れた暖かい日でした。
桜が満開間近という頃でしたね。沢山の友人たちの祝福をいただき、誰もがそうでしょうが、幸せの頂点にいました。
加とさんがスポーツ少年団の指導者をしていた関係から、卒団した生徒たちがサプライズで花束を持って披露宴に来てくれました。
あの時、号泣していた加とさんの、涙でぐしゃぐしゃな顔は忘れられません。
私は、と言うと感極まって何もお料理が食べられない加とさんを尻目に、ステーキだのデザートだのを頬張ってワイワイと騒いでました(笑)


あれから、20年。

本当に、山あり谷ありでした。

結婚当初は、ほんとに山のてっぺんにいた気がします。

それから数年で谷底に落ちたような(笑)


もう、そこから永久に這い上がれないと感じた日々もありました。
山から美しい景色を見下ろして幸せに浸るような日々は訪れないと覚悟しました。

そのくらい、平坦ではない20年でした。

そんな事を書くと、私たち夫婦を知っている友人知人はきっと驚かれると思います。

いつもラブラブで順風満帆な日々を送っていると思われているでしょうから。


そんなことはありません。


いつ別れるか、というよりも、

いつ死ぬか・・というところまで来ていた日々もありました。

一体、何があったのかは、今ここで申し上げるにはちょっとまだレアすぎるので(笑)、いつか笑ってお話出来る日が来たら、ポツポツ書いて行こうかな・・・と思います。
それも、公開設定にしない非公開日記かもしれない。
でも、とりあえず、いつかは文章で書き残しておこうと思います。


夫婦になっての20年は、あっという間・・・でもないか(笑)そこそこ長い道のりだった気もします。

沢山語り合い、沢山笑って、沢山泣いた日々。

喧嘩はしませんでした。
ちょっとした意見の相違はあっても、喧嘩にならずに収束。

ああ、この人はこういうタイプだから私が考えるような憶測も期待も無駄なんだな。
・・・そう思うようになってからは、依存した関係ではなくなりました。

自分本位な期待をしない。期待に添わないからと言って要求を重ねない。
あちら様はあちら様の世界があるから、不用意に土足で入り込むことはしない。

とは言っても、
自分で読んだ本がとても面白かったりすると、相手にも読んで欲しいと思っちゃうわけです。
で、これ面白いよ、これも面白いよ、と、次から次へと執拗に勧める。

でも、読まない(笑)
以前は気を遣って読んでくれた事もありましたが、面白いと思うポイントが私と他人は違うんだなと実感(当たり前じゃ)。

なので、最近も読んで欲しいなぁと思う本は数冊ありますが、勧めない。どうせもう、最近は読みっこないし(笑)

そうやって、適度な距離が解ってくると、二人の生活はかえってとても楽になりました。

過干渉は何一つ良い事がないんだな、と実感しました。



話は変わりますが、先日、甲状腺の治療で通院してきました。
血圧を測って簡単な診察を受けてお薬をもらってくるのですが、ひとつ深刻な事態が発生しました。

血圧が非常に高い・・・

甲状腺機能低下症を患って以降、血圧がやけに高いのです。なんでだろう?

罹患以前は、上が110~120台、下が70後半ぐらいでした。
何を食べても飲んでも、寝不足でも太っても痩せても、血圧だけは変わりませんでした。

それが、先日の計測では154-98でした。

ひゃ・・・ひゃくごじゅうよん???

ありえない数値でした。下も100間近です。測ってくれた看護師さんもちょっと困惑顔。

えええええええええ・・・・・(゚Д゚;)

主治医も、血圧降下は早急に対策が必要とのこと。
でも、とりあえずは塩分を控えたり運動したりなどして様子見、となりました。
それで下がらなければ血圧降下剤の投入です。

ううむ。それだけは避けたい・・・

診察が終わり、いつも通り甲状腺ホルモン剤と造血剤を処方してもらい、帰途につきました。
途中、スーパーとドラッグストアに寄り、健康食品売り場を物色し、高血圧に効果があるサプリと杜仲茶などを買い込みました。
職場で煮出した杜仲茶を飲めるように、ポットも購入。
うーむ。。。予想外の散財(ノД`)・゜・。

帰宅後、高血圧のせいなのか、それを聞いてショックだっただけか、それとも通院&買い物疲れなのか、部屋に横たわってぐったり。。少し目まいがしました。

それを心配そうに見つめる加とさん。

その時、思いました。

もうじき20周年だけど、あと何年、夫婦でいられるんだろうか?
持病をいくつも抱え、こんな体調不良な私では、先にお陀仏になりそうだわ。
この人をこの世に遺して逝ったら、この人はちゃんと生きていけるだろうか?

遺言状、書いておいた方がいいかもしれない。
生命保険の証書とか、預金口座番号や印鑑の場所とか、私がいなくても解るように・・・

そんなことを考えつつ畳に横たわり、天井から照らす電灯を見ていたら、ふいに涙が出てきました。

だめだだめだだめだ。

そうやって、不幸な未来を考えてちゃダメだってば、私。

血圧なんか、どうにかなるって。正常値よりちょっとだけ高いだけじゃん。
考えすぎ、考えすぎ。

長生きしなきゃ。
あの人を先に送らないと、私は安心して旅立てないよ(笑)


「大丈夫?」

心配そうに顔を覗き込む加とさんに、私は目を拭って「うん」と言って起き上がりました。

首と肩が痛い、と言ったら、その後長い時間をかけてマッサージしてくれました。
いつもありがとう。

20年。
二人の歴史はここで一つの区切りを迎えましたが、まだまだ先は長い(はず)。

頑張り過ぎず、手抜きもサボりもOKで、ゆるゆると生きていこう。
色々と苦しい状況は無くならないけれど、それも受け容れて、なおかつ前向きでいよう。

苦労はいつか、糧になる。そう信じていよう。
夢を諦めず、これからも2人で歩いて行こう。ゆっくりと。


一緒になってくれて、ありがとう。これからもよろしくね。

死が2人を別つまで・・・・